2007年 11月 02日
微妙の意味
アジティーに興味のある方以外に、分かり辛い箇所もあると思います。
すみません。m(__)m
レッスン。
一度のAG。
お友達のAちゃん作。
何故、こうやってお友達の作ったコース図を、
今日私がやってきたレッスンに参照出来るかといえば、
それは、この間友達が受けたレッスンのコースを今日もやったから。
三日前、私が出れなくて、
でも友達が受けたレッスンのコース図を、友達に作ってもらい、
そしてその上、どこが難しかったのか(自分でコース図見てても分からないから)、
その難しかったポイントを、所長はどう教えてくれたのか、
散々聞いたコースなのでした。
普通、初見で8分で済ませる検分を、
私ゃ、三日もかけてしてたわけだし、
それもその後の授業内容を教わっていたわけだし、
ねえ、恵まれているわな。つか、どんだけラッキー。
障害物の順番もほとんど頭に最初から入っているコース。
気が楽ってもん。
その気楽さが伝わったのか、しろもいい感じで走ってくれる。
速いとかそういう感じではなく、お互いに息が合っていた感じ。
(※注スラロームを除く)
素直に、クリーンランした一走目は楽しかった。
面白いもので、
その後、所長に細かく指摘され、
その上で同じコースを走ると、何も考えなかった一走目より、
上手くいかない。
あれ、これってさーと、
最近習い始めたピアノと一緒だと、ふと思った。
頭で考えすぎると、手足が動かなくなる。
人って上手く出来ているもので、
何かに集中しなきゃと頭で考えるすぎると、
脳みそ以外の、他の機能が停滞する。
ピアノは本当に頭で考えて弾く楽器ではなくて。
最近身をもって知ってビックリしている。
感覚を持って弾くもの。
感覚の前には、努力、回数、慣れなどの順番を踏まなきゃならないけど。
ここ最近の課題曲を練習するとき、
「弾けるようになってきた~」
と、思ったとき、
楽譜も見ないし、下手すると鍵盤も見無い事に気がついた。
本当に感覚だけに頼っている感じ。
前には無かった。
進歩しているのかしら。
アジも一緒だと思う。
努力、回数、慣れなどもあるけど、
実際に本番チックに走るときは、
先の障害物も見ないし(見る余裕もない)、細かいことは何も考え無い。
というか、考えられない。
犬を見て、自分が走ることだけに精一杯。
でも、それだけに精一杯でも、
やはりコースは走れなくて。
考えて走るのではなく、やはりピアノと一緒で、
ぶっつけ本番の競技会では、感覚で走るのだなと思う。
ピアノの先生と、犬学校の先生が同じ言葉を使っていたのが、
今日は、とても印象的だった。
「微妙」
何が微妙ってって感じだけど、
私はとても面白いと感じた。
ピアノの先生(※注24歳)が言った時は、
私がこう訪ねた時だった。
「何故、この楽譜の何も記号のついていない部分で、
ここは盛り上げるように弾いた方がいいんですかね」
そしたら、
「それぞれ、楽譜の解釈の仕方もありますし、
指の強さ、指の長さ、リズム感の良し悪しもあります。
今は初心者で基礎を習っているので、
こうして、私の判断でアドヴァイスをしていますが、
でも、突き詰めて上手になっていけば、
上に行けば行くほど、本当の正解は無いんです。
何でですか、と聞かれれば、
それが正しいからと私が答えるのは、とても微妙なんです」
今日の所長の言葉の私の解釈。
(私の解釈が間違う可能性も大です。ご容赦)
「基本を踏まえた上で、同じコースを走っても、
違う人がやれば、まるきり違うものになる。
それは人それぞれ、体の大きさも違うし、ならば足の長さも違う。
性格も、せっかちな人もいれば、マイペースな人もいる。
それを考えると、実はどれ一つ同じ走り方というものは無くて、
その上、犬の違いも加わってくる。
とても複雑で、上に行けば行くほど、
どれが正解と言える様なものではない。その辺は、とても微妙なものだ」
その位置まで、いつか達せるようになりたいものです。
ピアノ、
そして、アジリティー。
いつのことやら。
しかし、奥が深いと感じるものには、
本当に、共通点があるものだなあ。
あ、私、
この年になって、初めて座右の銘というものを見つけました。
「案ずるより生むが易し」
「下手な考え、休むに似たり」
きっと、これを読んだ犬学校の同期の仲間は、
パソコンの画面指差して、笑っている事でしょう。
ほっといて頂戴。
そして、有難うです。m(__)m
コスモスの綺麗な時期ですね。
by sirorin-rin
| 2007-11-02 01:55
| アジリティー(引退しました)
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